代表の岡真樹子の著書「日本の敵を今知るための150問150答」が発売されました!!
 

 
代表の岡真樹子の著書「日本の敵を今知るための150問150答」が青林堂から6月9日発売されました!!
山際澄夫氏推薦! 「国民が日本を取り戻す運動を始めるときの入門書」
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靖国神社には戦没者の遺骨が祀られているのですか?

 神道では遺骨を預かることはありません。
靖国神社には遺骨も位牌もなく、御祭神(英霊)の姓名を書いた霊璽簿(れいじぼ)も御神体ではありません。
靖国神社の御神体は御剣と御鏡です。

神道は仏教とは違って開祖もなく、教義もありません。
万物に神が宿ると考えて自然を崇拝し、祖先を敬う信仰です。
人間の肉体は滅びても霊は滅びず、残った家族や国家を護ってくれるという信仰は日本人が昔から持っていた先祖崇拝に基づく文化・伝統です。戦没者の残したものは何もなくても「そこに霊がいる」という観念が日本人ひとりひとりの心の中にあるということが重要なのです。

靖国神社は国営ではないのですか?

 靖国神社は明治2年(1869年)、明治天皇の聖旨によって創建されました。
創建当時の名前は「東京招魂社」で、10年後に「靖国神社」と改称されました。
黒船来航(1853年)以来、大東亜戦争までの近代国家を作る苦難の時代に国のために命を捧げた人々を英霊(英でた霊)として祀っています。
戦前の靖国神社は海軍省と陸軍省の共同管理下にありましたがGHQ(連合国軍最高司令部)の占領下で陸海軍両省がなくなり、マッカーサーの「神道指令(神社を国家から切り離し、宗教法人として手続きを取るなら存在を許すというもの)」によって宗教法人となりました。

国民が国のために命を捨てれば国家はその霊を神として靖国神社に祀るというのが戦前の国家と国民との約束事でした。
遺族は家族が靖国神社に祀られることで愛する者の死を受け入れたのです。
ですから靖国神社の国家護持は戦友会・遺族会の長年の悲願でした。
1969年に靖国神社の国家護持を目指した「靖国法案」が国会に提出された時、遺族は大いに期待しました。しかしこの法案は、実は国営化する代わりに靖国神社から宗教色をなくそうとする、とんでもないものだったのです。
法案を読んだ靖国神社側が事の重大さに気づいて猛反対し、結局この法案は5年後に廃案になりました。

御祭神はどのような基準で選ばれるのですか?

御祭神を選ぶのは靖国神社ではありません。
戦前は海軍省・陸軍省が選んでいましたが、戦後は厚生省が戦没者を個別審査して「祭神名票」を作成して靖国神社に送ります。
靖国神社はこれを受理して、祭神一柱(ひとはしら)ごとに霊璽簿を作って合祀します。その際、靖国神社から宮内庁を通じて新合祀者の名簿を天皇に上奏し、天皇陛下の御裁可を経て合祀しています。

御祭神の選考基準は戦死・戦傷死・戦病死した人、公務で殉職した人というのが原則ですが、戦時下で職場を守り、結果として亡くなった女性も祀られています。
例えば沖縄の看護隊だった「ひめゆり学徒隊」の204人の女子学生や1945年8月20日、ソ連軍の侵攻の中で自決した樺太・真岡の真岡郵便局の電話交換手9人の霊も祀られています。
また空襲下に被害の拡大防止のために働いた警防団員、満蒙開拓青少年義勇軍など、戦死ではなくても戦争の犠牲者で氏名の分かっている者はすべて合祀してあります。

外国人もいます。
日本の統治下で亡くなった台湾、朝鮮の人々がほとんどですが、3人のイギリス人もいます。
台湾の李登輝元総統の兄の李登欽氏も志願兵として参戦し、戦死したので靖国神社に祀られています。

靖国参拝は「政教分離」に抵触するのではありませんか?

日本国憲法第20条に「政教分離」の規定があるので護憲派はそれを靖国神社攻撃に利用しますが、「政教分離」とは一体何なのでしょうか? 
「政教分離」はアメリカ合衆国憲法にあったものをGHQが日本国憲法に取り入れたものです。
しかしそれは、信教の自由を守るためにキリスト教の特定の宗派を優遇しないように定めただけのもので、政治と宗教の関わりを否定したわけではありません。
アメリカ大統領が就任式の時に聖書に手を置いて宣誓するように政治と宗教は切り離せないものです。
もし完全に政治と宗教を分離しようとすれば宗教建築や仏像を国が文化財として保護することもできないし、宗教系の私学に国が助成金を与えることもできなくなります。宗教を排除したら国民に道徳を教えることもできなくなります。

しかし「靖国参拝は違憲だ」という判決を求めて左翼の市民団体は何度も裁判を起こしてきました。
そしてついに2004年4月7日、福岡地方裁判所が一つの判決を出しました。
「小泉首相の靖国参拝は憲法違反で、精神的苦痛を受けた」という理由で賠償支払いを求めた原告に対して、亀川清長裁判長は判決の「主文」では請求を退けておきながら「傍論」で「首相の靖国参拝は違憲」という判断を下したのです。「傍論」は判例にならず、法的拘束力もないにもかかわらずマスコミは大々的にこれを報道し、いかにも靖国参拝が憲法違反であるかのような印象を読者に植えつけました。
国は裁判自体には勝っているので控訴できず、判決はそのまま確定してしまいました。このようにいわゆる「靖国訴訟」といわれるものは裁判に勝つことが目的ではなく、裁判を利用して靖国神社を貶めようとする左翼の運動なのです。

なぜ中国は日本の首相の靖国参拝を非難するのですか?

中国は「A級戦犯が合祀されている靖国神社に日本の首相が参拝することに中国の民衆は苦痛を感じる」と主張しますが、これは嘘です。
東條英機ら7人の国家指導者が「A級戦犯」とされ、絞首刑の判決を受けた「東京裁判」の裁判官には中華民国(台湾)は参加していますが今の中国は参加していないからです。
中華人民共和国が誕生したのはA級戦犯の処刑が終わった翌年の1949年10月1日です。中国の民衆は靖国神社の存在すら知らないはずです。
では、なぜ中国はそのような理不尽な言いがかりをつけるのでしょうか?

死者の慰霊の仕方は国によって、民族によって異なります。
日本ではたとえ罪人でも死ねばみな神様・仏様です。
ラフカディオ・ハーンは「日本は死者の国だ」と言いました。
日本では何か事故や事件があると、その現場に必ず花が供えられ、線香の煙が絶えることがありません。
このような寛容な精神を持っていることを私たち日本人は誇るべきだと思いますが、中国人にはそのような「死者をとむらう」という感覚がありません。

中国の杭州の西湖のほとりに秦かい(しんかい)という、千年近くも昔の人物の像があります。
秦かいは南宋の宰相だった人物ですが、今の中国では売国奴の烙印を押されています。その像は裸で後ろ手に縛られています。
像の周囲には柵が張り巡らされ、そこを通る観光客はみな、ひざまずく像の頭を叩いたり唾を吐きかけたり罵ったりして楽しむのです。
中国ではいったん罪人とされた者は永遠に許されることはありません。敵を殺した後も遺体を切り刻み、その肉を食べ、骨を粉にして飲んで憎しみをかき立てるのが中国文化なのです。

中国共産党の靖国神社に対する干渉は、そのような中国人の「敵に対する絶対不寛容」の表われです。
中国共産党は日本軍と戦い、勝って建国したという嘘の歴史を国民に教えています。中国政府が国をまとめ、政権を維持するためには建国の正統性を強調しなければなりません。
靖国神社は中国の国民に反日感情を植えつけ、国民の不満を外にそらせる格好の題材なのです。


「A級戦犯」「BC級戦犯」とは何ですか?

 1946年5月3日から始まった極東国際軍事裁判(東京裁判)は「裁判」とは名ばかりの、戦勝国による敗戦国、日本に対する報復劇でした。
戦争が終わったらそれぞれの国が条件を出し,講和を結ぶと国際法に定められているにもかかわらず、アメリカは日本に対する復讐を裁判の形を借りて実行したのです。

東京裁判では戦勝国11カ国(アメリカ、イギリス、中華民国、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド、インド、フィリピン)が裁判官で、被告は日本だけでした。
これを見ただけでいかに公平な裁判ではなかったかが分かります。
「A級戦犯」の罪は「平和に対する罪」というものでした。
しかし国家には交戦権があるのです。外交交渉でどうしても問題が解決しない場合、戦争をするのは国家に認められた正統な権利です。
それを罪と言うならば戦勝国の指導者もすべて罪人になるでしょう。

「B級戦犯」は捕虜虐待を監督・命令した者、「C級戦犯」はそれを実行した者という理由でBC級戦犯はなんと1061人が絞首刑・銃殺刑になりました。
BC級戦犯の多くは現場の兵士でまだ若く、独身者や結婚後まだ間もない者がたくさんいました。
彼らは戦争が終わったのに戦地から戦犯裁判所に送られ、日本に残してきた家族を思いながら異国の土となりました。
内地の国民は「戦争はもう終わった」と思って復興に目が向いていましたが、外地ではまだ戦争は終わっていなかったのです。

1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が調印され、1952年4月28日、日本は独立を果たしました。
その2日後の国会で政府は早くも戦犯の名誉回復に取り組みました。
まず「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を成立させ、翌年8月1日に援護法の一部改正を行ないます。
ここで戦犯は国内法では罪人と見なさないという判断基準が示され、戦犯の遺族にも戦死者の遺族と同等の遺族年金が支給されることになります。
つまりこれ以降、日本には「戦犯」は1人もいなくなり公文書では「法務死」と書くようになりました。靖国神社では彼らを「昭和殉難者」として祀っています。


神道は「国家宗教」として国民を戦争に駆りたてたのではありませんか?

江戸時代は藩が国のような役割を果たしていました。まだ日本人には「自分はOO藩の人間だ」という意識しかなく「自分は日本人だ」という意識は薄かったのです。
明治になり西欧列強の侵略に対抗しようとした日本政府は、まず人々に「自分は日本国民だ」という意識を植えつけなければなりませんでした。
強い近代国家を作るためには西洋のキリスト教に匹敵する求心力を持つ思想が必要だったのです。
神道はそのような激動期に一時期「国家宗教」の役割をにないました。仏教は外来宗教ですので日本固有の宗教である神道で国民を統合しようとしたのです。

しかし神道自体が危険な宗教というわけではありません。
そもそも神道は宗教と言えるのでしょうか? 
神道は布教活動もしないし説教もしません。
神道には「〜してはならない」という宗教的タブーがなく「〜しなければならない」という信徒の義務もありません。
キリスト教やイスラム教のような一神教はもちろんのこと、仏教と比べても非常に「ゆるい」思想です。

日本人は「自分は無宗教だ」と言う人が多いのですが、それでも正月には初詣に行きます。
お盆には墓参りに行くし、神前結婚をする人も少なくありません。
つまり神道は宗教というよりは生活に根づいた慣習と言えるかも知れません。
そしてそれが日本の伝統・文化に沿ったものなので、私たちが抵抗なく自然に受け入れ、特に布教活動をしなくても滅びることはないのだと思います。

「遊就館」とはどのような場所ですか?

 遊就館は「戦争を鼓舞する博物館」などと中傷されますが、非常に貴重な博物館です。1883年に開館式が行われました。
例えば零戦(零式戦闘機)や「紫電改(しでんかい)」という海軍の戦闘機、人間魚雷「回天」の実物などが展示されています。
古代の武具や鎌倉時代の武士の「出陣武装人形」なども陳列されています。
戦火の中で活躍した軍馬、軍用犬、軍用鳩などの慰霊銅像もあります。

展示を順に見て行くと、最後に特攻隊で散華した若者の顔写真がずらっと並んでいます。そのあどけない、幼さの残る顔に衝撃を受ける人は多いと思います。

これまで歴代の首相は靖国神社に参拝していたのですか?

 サンフランシスコ講和条約に調印した直後、秋の例大祭に吉田茂首相は靖国神社を公式参拝しました。
当時の朝日新聞はこれを当たり前のこととして報じています。当時はマスコミが首相の参拝をとがめることもなく、「公式参拝か私的参拝か」などと問題にする感覚もありませんでした。
吉田茂は首相在任中5回、岸信介は2回、池田隼人は4回、佐藤栄作は11回、田中角栄は5回、「公人として」参拝しています。
英霊は国のため、つまり公(おおやけ)のために命を捨てたのですから首相が公人として参拝するのは当たり前のことです。

しかし60年安保、1972年の日中国交回復などを経て日本の言論界は次第に左翼に占領されてゆきます。
そして1975年、三木武夫は首相として初めて終戦記念日に参拝したのですが、そこで言ってはいけないことを言ってしまいます。
「内閣総理としてではなく三木武夫個人としての参拝」だと言ったのです。
首相自らが左翼に餌を与えてしまい、それ以降、靖国参拝する首相の前にマスコミがマイクを突き出し「公人ですか? 私人ですか?」と聞くのが恒例になってしまいました。天皇陛下の御親拝もこれ以降、行われなくなりました。天皇には私人という立場はないからです。

1985年、中曽根康弘首相は「戦後政治の総決算の一環として靖国神社公式参拝を実現する」と大言壮語しましたが、これに朝日新聞を初めとする左翼マスコミが反発、「中国の反発が予想される」と報道しました。
すると案の定、中国外務省が参拝に公式に反対を表明する騒ぎになりました。
中曽根首相は結局、参拝はしましたが「宗教色を排除して」略式で参拝することになってしまいました。
それ以後、終戦記念日の前になるとマスコミが騒ぎ、それに怖れをなした首相が前倒しで参拝したり略式で参拝したりするようになりました。
靖国問題を中国の外交カードに仕立て上げたのは朝日新聞に代表されるマスコミなのです。

靖国神社に代わる国立追悼施設を作れば中国も納得するのではありませんか?

 1972年、自民党の総務会長だった中曽根康弘は「靖国とは別の施設を作ろう」と言い出しました。
2001年、小泉首相は公明党の質問に対して「戦没者を慰霊する国立墓地を検討する」と答えています。
2005年には山崎拓ほか超党派の議員が「国立追悼施設を考える」と言い出しました。彼らの言動は靖国神社を冒涜し、遺族の気持ちを傷つけるものです。

中国が靖国参拝に抗議するのは靖国神社に問題があるわけではなく、国民の不満を外へ向けるのに靖国神社を利用しているだけですから、靖国に代わる施設を作ったからといってそれで問題が解決するわけではありません。
新しい施設に対してもまた何か理屈をこねて抗議してくるに違いありません。
そもそも無宗教の慰霊というものはあり得ません。
参拝者は霊がそこにいると信じるから足を運ぶのです。いくら立派な施設を作ってもそこに霊がいないのなら、単なる石の塊に過ぎません。

「A級戦犯の霊を分祀すれば良い」という意見を言う人がいますが「分祀」とはどういうことでしょうか? 
神道の「分祀」とはろうそくの炎を分けるようなもので、「分祀」すればどんどん霊が増殖するだけで、元宮(もとみや)の御祭神や祭祀に何ら変わるところはありません。いったん「合祀」した特定の個人の霊をよそへ移すなどということは不可能なのです。

靖国神社は政治的意図によって人工的に作られたものではありません。
もともと日本の家には神棚があり、毎朝そこにお供えをして手を合わせる習慣がありました。
祖先が霊となって子孫を護ってくれていると庶民は信じていました。
靖国神社は日本にもともとあった追悼の儀式を国家が引き継いだものです。
戦没者の多くは遺書や手紙に「靖国で待っている」と書き残しています。
英霊が靖国にいると私たちが信じている限り、靖国神社に参拝者が途絶えることはないでしょう。

参考文献:小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 靖国論』(幻冬舎)
     上坂冬子『戦争を知らない人のための靖国問題』(文春新書)



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