代表の岡真樹子の著書「日本の敵を今知るための150問150答」が発売されました!!
 

 
代表の岡真樹子の著書「日本の敵を今知るための150問150答」が青林堂から6月9日発売されました!!
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「人権擁護法案」とはどんな法律ですか?

一言でいえば「人権侵害を禁止する法律」です。
法案によれば「人権侵害」とは「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」とされていますが、これは非常に漠然としていて、どうとでも解釈できる文章です。
不当な差別、という言葉一つにしても何が不当と感じるかは人によっても状況によっても違うでしょう。
例えば「バカ」と言ったとしても、本当に相手を見下して言う場合もあれば、夫婦げんかなどで愛情を込めて言う場合もあります。
この法律の一番の問題点は「人権とは何なのか」という定義がない事です。
これでは「人権」という美名のもとにありとあらゆる権利の主張や要求がなされる恐れがあります。
また差別、虐待だけでなく「差別的言動」、つまり「表現の自由」までが規制の対象となっています。これは表現の自由を定めた憲法21条に明らかに違反しています。

 この法案によると「人権委員会」に属する人権委員、人権擁護委員は人権侵害の「予防」のために「必要な調査」を行うことができる、とされています。
まだ人権侵害が起きてもいないのに、起きそうだというだけで裁判所の令状なしで出頭要請、文書の提出などを強制でき、さらには立ち入り検査までできるのです。
こんな強力な権限を持つ人権委員、人権擁護委員に国籍条項がなく、外国人でも就任できるとしているのは信じがたいことです。
大韓民国居留民団や朝鮮総連のメンバーが人権委員になって「外国人差別」を理由に日本人を調べることができるのです。
これは表現の自由を侵害し、公権力による思想統制に道を開く大変危険な法律です。
こんな法律を認めてしまったら国民は発言や行動を常に監視される恐怖社会で暮らすことになります。

こんな法律を作らなければ解決できないような問題があるのですか?

人権擁護法案推進派の一人である自民党の古賀誠氏は「差別に泣いている人がいるから」と言いますが、それは誰のことなのか、具体的には言いません。
法務省の統計を見ると、例えば2005年度に「人権侵犯事件」として処理されたものは約2万4千件あります。
この数字だけを見ると多いように感じますが、99%は法務局の「援助(法律上の助言)」や「調整(被害者と相手方との話し合いを仲介すること)」などで解決しています。
特に重大・悪質な事案に対して文書で是正を求める「勧告」はわずか2件、刑事訴訟法に基づく「告発」はたった1件でした。
新たに法律を作らなければならないような状況とはとても思えません。
なぜこんな法律が必要なのか、理解に苦しみます。

この法案を推進しているのは誰ですか?

この法案の背景には1993年の「パリ原則(国連総会決議)」と1998年の「国連規約人権委員会の最終見解」があります。
しかしその内容をよく見てみると、今出されている法案の内容よりははるかにゆるいものです。
この程度の仕事ならば現在、法務省が既にやっています。推進派はこれを利用して、自分たちに都合よく作り変えています。では推進派とは誰なのでしょうか?

法務省と部落解放同盟、そして部落解放同盟とつながりのある自民党の太田誠一氏、古賀誠氏、塩崎恭久氏、二階俊博氏などです。まず法務省の事情を見て行きましょう。
日本大学の百地章教授によると法務省は「自身の省益拡大のために」この法案に熱心だそうです。
今でも法務省には約1万4千人の人権擁護委員がいますがさほどの権限はなく、相談に乗るボランティアのような身分です。
もしこの法案が通れば、法律の知識のある人権擁護委員が新たに2万人必要になります。人権委員会が法務省の外局として設置されれば役人の天下りポストができます。
各県に事務局が作られ、個別に予算が組まれるのです。
人権擁護委員をやると勲章のランクが一つ上がる、という説もあります。

 また人権問題等調査会の太田誠一会長は「部落解放同盟の組坂繁之中央執行委員長から頼まれた」と明言しています。
部落出身者に対する差別はもうほとんど解消されたので1996年に「同和問題の物的な基盤はおおむね完了した」ということで同和対策などの特別措置法は停止されました。
そして部落問題だけではなく人権侵害一般を対象に人権擁護推進審議会という会が作られました。
今の人権擁護法案はこの審議会の第2答申「人権救済制度のあり方について(2001年)」を踏まえて作成されたことになっています。
つまり部落解放同盟は特別措置法に代わる法律を欲しがっているのです。

今、人権救済のための機関はあるのですか?

実は今でも全国各地の法務局では法務大臣の「訓令」というものがあり、「人権を侵害された」という訴えがあると法務局が「加害者」に対して任意の出頭を求めています。
百地章教授の知人も外務省の「意見交換会」で「特別永住者制度」を批判しただけで「在日韓国・朝鮮人に対する差別だ」と訴えられて、東京法務局人権擁護部から呼び出されたそうです。
国が主催する「意見交換会」で普通の意見を言っただけで「差別発言」と受け取られ、公権力によって呼び出されるのです。
これでは日本には言論の自由は既にないようなものです。
この場合「加害者」とされた人の人権は一体どうなるのでしょうか? 
これでは北朝鮮による日本人拉致や中国によるチベット・ウイグル・モンゴル人虐殺なども迂闊に批判できなくなってしまいます。

メディアはなぜこの法案のことを報道しないのですか?

2002年に人権擁護法案が提出された時にはマスメディアがこぞって反対し、結局廃案になりました。
メディアが反対したのは法案に、いわゆる「メディア条項(報道・取材に際しての厳しい規制)」があり、これが報道の自由や取材の自由、国民の「知る権利」の侵害につながると考えたからです。
2005年に再びこの法案は提出されましたが、自民党の他の議員の反対で国会提出を断念しています。
2007年、自民党の人権問題等調査会が再び動き始めた時、推進派は「メディア条項については、当分の間これを凍結する」ことを提案しました。
産経新聞を除くメディアがほとんどこの法案について報道しないのは、自分たちは安泰だと思っているからでしょう。
しかし「メディア条項」は「削除」ではなく「凍結」ですから、いつ復活するか分かりません。
何よりも国民生活を脅かすことになるこんな危険な法案を報道しないということは、メディアには自由社会を守る意思がないと言わざるを得ません。

そもそも人権とは何ですか?

おそらく学校の授業では「人権」という言葉は無条件に良いもの、大切なもの、というふうに教えているでしょう。
しかしこの言葉はなかなか曲者(くせもの)です。
「人権」は日本語ではなく、英語のrightの訳語です。
アメリカがイギリスから独立した時の「独立宣言」の中にこの言葉が出てきます。

「すべて人間は平等に作られている。すべて人間は創造主によって、誰にも譲ることのできない一定の権利を与えられている」という一節です。

これがGHQ(連合国軍総司令部)によって作られた日本国憲法の中に取り入れられました。
ですから戦前の日本には「人権」という概念はありませんでした。

 言葉自体の持つソフトなイメージとは裏腹に、「人権」は社会に対立や争いの種をまいて来ました。
それはrightには「正しい、正当な」という意味があることと関係があります。
私たちが「私には〜する権利がある」と言う時、無意識のうちに「これは正当な要求なのだから譲る必要はない」と考えて「果たしてこれは正当な要求なのだろうか」と自分を謙虚に反省する余裕がなくなってしまうのです。
そして互いに譲り合わないので争いは解決せず、ついには訴えるということになります。
アメリカの訴訟社会の背景にこの闘争的な権利意識があります。

 人が何かを「正しい」と信じるには根拠、理由が必要です。
「独立宣言」の中の「創造主によって」という言葉でアメリカ人は自分たちの権利を根拠づけました。
つまり「人権」という概念はキリスト教思想の産物なのです。
しかしキリスト教国でもない日本にこの言葉が輸入されたことによって「人権」は暴走を始め、反体制・反権力のスローガンになりました。
埼玉大学の長谷川三千子教授は「1980年代の終わりころから『人権』は共産主義者のもっともお気に入りのキーワードとなった(『民主主義とは何なのか』)」と指摘しています。
自分が倒したい相手を攻撃する時に、錦の御旗として「人権侵害」という言葉を使うのです。
今、日本社会も徐々にアメリカ型の訴訟社会になりつつありますが、この流れを食い止めるには私たち日本人自身が「人権」という概念の持つ危険性に気づくことが必要だと思います。

参考文献:百地章「人権擁護法と言論の危機」(明成社)
     長谷川三千子『民主主義とは何なのか』(文春新書)



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