今なぜ「武士道」なのですか?

 「武士道」は「忠君愛国」を説く、軍国主義につながる思想として戦後の学校教育では否定されてきました。武士は戦いを職業とする、暴力的な集団だと教える教師さえいます。しかしそのような偏った教育の結果、日本人は精神的な支柱を失い、日本の社会から道徳感、倫理観が失われました。戦後の日本人は死と向き合うことを避けてきました。死は誰にも必ず訪れるものであるにもかかわらずそれをタブー視し、ただ安全に生き延びることだけを人生の目的とした結果,生の充実感や緊張感を失ってしまいました。

 最近、勤労意欲のない若者や少年犯罪が社会問題になっていますが、その遠因の一つが「個人」と「国家」と「社会」の密接な結びつきが見えない、つまり日本人としてのアイデンティティが失われているということがあるのは確かです。グローバル化が進行している今だからこそ、自分は果して何者なのか、というアイデンティティをしっかりと持つことが重要です。そのような意味で「武士道」は時代遅れの思想などではないと思います。物質主義、近代合理主義、科学万能主義が行き詰まり、閉塞感に陥っている現代日本人がもう一度先人の築いた「武士道」の持つ意味を考えることは決して無駄ではないと思います。

「武士道」はいつ頃、成立したのですか? 

 戦国時代、日本統一をめざして武士が互いに熾烈な戦いを繰り広げていた時代にはまだ「武士道」という思想はありませんでした。1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利を収め、徳川幕府265年の太平の世が始まりました。戦(いくさ)のない、平和な時代になってようやく哲学としての「武士道」が確立したのです。しかし「武士道」という言葉が一般的になったのは明治時代後半のことです。

 戦国時代の武士は戦いに明け暮れていました。しかし太平の世となると、本来の仕事である戦がないのですから、武士はやることがなくなってしまいます。江戸時代は封建制度で厳格な身分社会です。武士は「士農工商」の一番上、特権階級です。農民が苦労して作った米を食べ、自分は何も生産せず、庶民の上に立って威張れる身分です。当然、汚職がはびこり、堕落や腐敗しやすくなります。そこで武士が自らを律する必要が生まれ、「武士道」が徐々に形造られていきました。江戸時代中期にはほぼ「武士道」が確立していたと言えるでしょう。
 

「武士道」とは何ですか?

 「武士は食わねど高楊枝」とか「武士に二言はない」などという言葉はよく知られています。「武士道」は突き詰めれば「やせ我慢の精神」と言えるでしょう。そして「公(おおやけ)に奉仕する精神」「義を実行する勇気」「私欲を捨てる」「理屈を言わずに黙々と実践する」「卑怯な振るまいをしない」「名誉を重んじる」「嘘をつかない」「弱い者いじめをしない」などです。これらは武士がもっとも大切にすべきとされた価値観であり、やがて日本人全体の国民精神となりました。

 「武士道」の基盤は儒教です。しかし孔子の教えが中国から輸入される前から既に日本には長い歴史の中で自然に形造られてきた君臣、親子、夫婦、長幼、友人などの付き合い方、人間として守るべき基本的な道徳規範というものがありました。そこに儒教や仏教、神道など、さまざまな思想や教えが加わって「武士道」が形成されたと言えるでしょう。


「武士道」を説いた本にはどんなものがありますか?

「武士道」を世界に知らしめたのは新渡戸稲造(にとべいなぞう)が1900年に英語で書いた『武士道』です。当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトはこれを読んで感動のあまり数十冊を購入し、世界中の要人に「ぜひ一読することを勧める」という手紙と共に送ったそうです。1900年という19世紀から20世紀への過渡期は現代の日本よりももっと日本人の価値観が揺れ動き、日本古来の伝統や文化が消えていきそうな状況でした。新渡戸稲造はアメリカ留学の経験があり妻はアメリカ人、自分もクリスチャンでした。当時としては最高の国際人であり、エリートでしたがそのような状況を心配して『武士道』を書きました。彼は日本の「大和心(やまとごころ)」の大切さを日本人に想起させ、世界の人々にもアピールしようとわざわざ英語で書いたのです。

『武士道』以前にも「武士道」という言葉を使って武人の道を説いた書物はたくさんありました。江戸時代の初めに書かれたと思われる『甲陽軍艦』や『葉隠(はがくれ)』『武道初心集』などです。「武士道というは、死ぬ事と見つけたり」の一句で有名な『葉隠』は正式には「葉隠聞書」といい、三島由紀夫の愛読書でした。肥前(佐賀県)鍋島藩の家臣、山本常朝(つねとも)が語ったことを門人の田代陣基(つらもと)が整理したものです。『葉隠』は大東亜戦争中、出征する青年たちの覚悟をかためる書として推奨されたため、危険な本であるかのように言われることが多いです。しかし『葉隠』の時代背景は現代によく似ているせいか、ここに書かれていることは驚くほど現代に通じています。武家の女性は決して地位が低くなかったことも分かります。恋愛についての文章などもなるほど、と感心させられます。

『甲陽軍艦』は江戸初期に作られた軍記です。戦国の名将、武田信玄の物語を中心に甲州武士の思考や行動が生々しい迫力でつづられています。

切腹は野蛮な習慣なのではありませんか?

 日本刀は「武士の魂」と言われます。
刀はもちろん人を斬る武器ですが、それで自決する場合、それは単なる自殺ではなく、自分の名誉を守るための自由意志の表われであり、美しい死に方と捉えられていました。
死を自ら選ぶことは「自由」につながると考えられていたのです。
作法にのっとって立派に切腹することはとても難しいだけに、それが武士にもっともふさわしい死に方と考えられたのです。
武士は責任を全うできなかった時には切腹するのが当たり前とされていました。『葉隠』には「死ぬ道と生き延びる道があったら、迷わず死ぬ道のほうを選べ」と書かれています。
武家の家に生まれた子供はこの教えを理屈ではなく、体で徹底的に叩き込まれていました。
現代の価値観からすれば野蛮と言えなくもないですが、どんな失策や失言をしても恥じることもなく、責任を取ることもない今の政治家に比べればはるかに潔い態度と言えるでしょう。

「武士の情け」とは何ですか?

「敵に塩を送る」という言葉があります。「武士の情け」を別の言葉に置き換えれば「仁」「惻隠(そくいん)の情」「慈悲」「博愛」などという表現になるでしょう。

『武士道』の中で「仁」を説明するために新渡戸稲造は熊谷直実(なおざね)の物語を引用しています。熊谷直実は1184年、源氏と平氏が戦った「一の谷の戦い」の時の源氏方の有名な武将です。熊谷は戦場で一人の敵を追いかけ、追いついて自分の下に組み敷きます。しかし相手が身分の高そうな武士なので殺す前に名前を聞こうとします。相手がどうしても名乗らないので熊谷は相手の兜(かぶと)を押し上げて顔をのぞきます。するとまだ幼さの残る若武者でした。熊谷はあっと驚いて相手を逃がそうとします。しかし相手はあくまでも自分の首を討て、と言います。この若者は平敦盛(たいらのあつもり)でした。熊谷はもう一度、相手に逃げるように説得しますが、どうしても自分を殺せ、と言ってききません。結局熊谷は敦盛の首を討ち、手柄を立てて凱旋しますが武士を捨てて出家した、という物語です。新渡戸稲造はこの物語を通じて「仁」とはつまり相手の立場を思いやることだ、と説明しています。相手が本当に死を望むのであれば、むしろ死なせてやることが「仁」なのです。

「武士の情け」とは結局、真のリーダーに求められる「徳」のようなものだと思います。リーダーになる人間には強い意志と同時に愛がなければなりません。国を愛し、国民を愛することが指導者の絶対条件なのです。


「武士道」と「茶道」はどのような関係があるのですか?

「武士道」と「茶道」は切っても切れない関係にあると言えます。「茶道」は単にお茶を飲むことではなく、ある種の規範(茶礼(されい))に基づく喫茶行為の全体を言います。「茶道」の原型は早くも室町時代にありましたが、「茶道」という言葉が一般化したのは江戸時代の中期です。

 1568年に天下統一をめざして京に上った織田信長は、堺の町の経済力を吸収するために今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうきゅう)、千利休らの「町衆茶人」を茶の湯を取り仕切る「茶頭(さどう)」に起用しました。千利休は「茶の湯の大成者」と呼ばれるようになり、最期は豊臣秀吉の怒りに触れて切腹させられてしまいますが、「茶道」を芸術の域にまで高めたのは武士の力だったと言えるでしょう。

 武士は「茶道」に心の安らぎを求めました。茶室に入る時は武士も刀を持たず、政治のことも忘れてくつろげたのです。茶室の中では一つ一つの動作が細かく規定されています。それらの動作を正確に、優雅に、物静かにこなすには心の平静さが必要です。茶室にはお客をもてなす心づかいが随所に見られます。お客は茶花をながめたり、掛け軸をながめたり、茶器を鑑賞したりしながら時を過ごします。「茶道」は「武士道」の「礼」から生まれた洗練された芸術と言えるでしょう。

「ノーブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)」とは何ですか?

 ノーブル(noble)には高貴・気品・貴族的などの意味があります。「ノーブレス・オブリージュ」は「人の上に立つ人間の、高貴な身分にともなう義務と特権」という意味です。新渡戸稲造は『武士道』の中で武士が受けた教育を説明する際にこの言葉を出しています。

戦後の日本の学校教育ではエリート教育を「差別的」だとか「非民主的だ」などと言って否定し、みんなが平等、みんなが同じが良い、という「悪平等主義」が横行してきました。戦前にはあった飛び級制度もなくなり、能力別にクラス分けすることすら反対者がいてなかなかできません。そんな教育を延々と続けてきた結果、日本には真のエリートがいなくなりました。真のエリートとは優秀であるだけでなく、人の上に立つ人間としての立場を自覚し、自分を厳しく律することのできる人間です。しかし今の日本は政治家から官僚、経済人、すべてが不道徳になってしまったようです。つまり国民の手本となるような高貴な身分の者がいなくなってしまったのです。今の日本で唯一の「ノーブレス・オブリージュ」は天皇・皇后両陛下でしょう。

戦前の日本のエリート教育を受け、戦後、台湾の総統となった李登輝氏は『武士道解題―ノーブレス・オブリージュとはー』(小学館)という本を書いていらっしゃいます。その中で戦前の日本の教育制度や学校の雰囲気、先生の人格などを絶賛なさっています。台湾を民主化に導いた偉大な政治家、李登輝氏が戦前の日本の教育を評価しているということはもっと強調されて良いと思います。

本の最後に李登輝氏はこう書いています。
-最後に、もう一度繰り返して申し上げておきたい。日本人よ自信を持て、日本人よ「武士道」を忘れるな、と。-

参考文献:三島由紀夫『葉隠入門』(新潮文庫)
     李登輝『武士道解題―ノーブレス・オブリージュとはー』(小学館)



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