中国の漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた事件がありましたが?
2010年9月7日、日本領海内で中国の漁船が操業しているのを海上保安庁の巡視船「よなくに」が発見しました。「よなくに」の停船命令を漁船は無視して増速し、「よなくに」に体当たりした上、巡視船「みずき」にも体当たりして逃走しようとしました。結局、海上保安庁の保安官が漁船に乗り込んで止めさせ、船長を逮捕しました。
しかし、中国は船長の釈放を求めて日本政府に露骨に圧力をかけてきました。19日に「日本との閣僚級以上の交流停止」「航空路線増便の交渉中止」「日本人大学生の上海万博招致中止」などを決定し、さらにレアアースの輸出禁止をほのめかし、何の根拠もなくフジタ社員4名を拘束する、という信じがたい措置に出ました。この恫喝ともいえる異常な態度に日本政府はなす術もなく屈服し、船長を24日、処分保留で釈放してしまいました。処分保留で釈放ということは、事実上、無罪放免ということです。
政府のこの対応は完全に間違っていました。漁船が巡視船に体当たりしてくるなどということは、常識では考えられません。この船長は漁師ではなく、おそらく海上民兵でしょう。中国では18歳から35歳までの男性は軍か、どこかの民兵組織に属しています。船内をよく調べれば武器が隠されていたかも知れません。
政府がすべきことは現場をうつしたビデオを世界に公表し、中国漁船の違法性を明らかにし、国際世論に訴えることでした。しかし、政府はビデオの公開すらしようとしなかったのです。そのような状況に義憤を抱いた海上保安官、一色正春氏が公務員という、安定した職を投げ打ってビデオをYouTubeに投稿したことはまだ記憶に新しいと思います。
この事件で日本は法治国家としての面目を完全に失いました。
日本は中国と違って法治国家で、司法は独立しているのですから法律に基づいて起訴すれば良いだけのことなのです。今度、もし同じことが起きても法律に基づいて処理することはできないでしょう。菅政権は悪い前例を作ってしまったし、しかも誰も責任を取っていません。おそらく中国は今年、尖閣諸島に漁船ではなく海洋調査船を出してくるでしょう。その次は軍艦を出すでしょう。その時、日本政府はどう対応するのでしょうか?
中国は南シナ海でも周辺諸国とトラブルを起こしていますが?
中国の侵略に脅かされているのは日本だけではありません。1992年(平成4年)、中国は「領海法」(中華人民共和国領海法及び接岸水域法)を制定し、フィリピンが領有していた南沙(スプラトリー)諸島や西沙(パラセル)諸島の領有を宣言しました。
フィリピン国内で反米軍基地運動が盛り上がり、米軍がフィリピンから撤退すると中国はフィリピン沖海域に海洋調査船を次々と出してきました。そして1995年2月、パラワン島西側のミスチーフ環礁の4か所に軍艦を出して建造物を建てはじめました。当然フィリピン政府は抗議しましたが時すでに遅く、もはや武力で取り返すしかない状況でした。
最近、中国海軍は南シナ海で大規模な軍事演習を繰り返し、海南島には原子力潜水艦の基地を既に完成させています。中国国内で人民解放軍の発言力は増しており、共産党が軍を掌握できているのかどうかも不透明です。膨張する軍事力を背景にした中国の高圧的な態度はASEAN(東南アジア諸国連合)地域の不安定化を招いています。日本政府はASEAN諸国と連携して中国に対抗する措置を打ち出すべきです。
尖閣諸島はどこにあるのですか?
尖閣諸島は南西諸島の西の端、東シナ海に浮かぶ小さな島の集合体です。沖縄県石垣市に属しており、一番、大きな島である魚釣島にある地籍表示柱には「沖縄県石垣市字登野城2392番地」と表示されています。5つの島と3つの岩礁から成っています。大正島は政府の所有で、残りの4つの島は個人所有で、国が所有者に年間数千万円の賃料を払って借り上げています。現在、どの島にも人は住んでいません。
尖閣諸島の総面積は約6.3平方キロメートルで魚釣島は約3.6平方キロメートルです。魚釣島から石垣島までは約170キロメートル、沖縄本島まで約420キロ、台湾の港町、基隆(キールン)まで約190キロの位置にあります。
尖閣諸島は本当に日本の領土なのですか?
間違いなく日本領です。日本政府は明治12年(1879年)に琉球藩を廃止して沖縄県としました。その後、沖縄県に対して尖閣諸島の調査を命じ、尖閣諸島が無人島であるだけでなく中国(当時は清=しん)の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で明治28年(1895年)1月14日の閣議決定を経て正式に日本の領土に編入しました。日清戦争のドサクサに紛れて日本が領土に対する野心から尖閣諸島を編入した、という説もあるようですが、実際は付近の漁場で漁をする漁民や島に住むアホウドリを乱獲する日本人を取り締まる必要性から編入したというのが事実です。
尖閣諸島が日本領であることは清も中華民国(台湾)も認めていました。その証拠に1971年まで、清も台湾も中国も一度も領有権を主張したことはありません。1919年、中国・福建省の船が魚釣島に漂着するという事件がありました。島に住んでいた日本人が中国人の漁民31名を救助し、それに対して長崎の中華民国領事から日本政府に感謝状が贈られています。台湾の李登輝元総統も尖閣諸島は日本の領土だと明言しています。
日本が大東亜戦争に負けたあと、尖閣諸島は沖縄の一部としてアメリカの占領下に入りました。サンフランシスコ講和条約締結以後もアメリカの統治下にありましたが、昭和47年(1972年)の沖縄返還協定によって尖閣諸島は日本への復帰を果たしています。
中国や台湾が尖閣諸島の領有権を主張する論理の根底には沖縄=琉球は古来、中国の領土であったという意識があります。つまり尖閣諸島に対する執着の先には沖縄があるのです。中国が最終的に狙っているのは沖縄だということを私たちは忘れてはなりません。
最近、沖縄を舞台にした「テンペスト」というドラマをNHKが放映していましたが、これも沖縄=琉球は中華文化圏にあったということを暗にほのめかす内容になっており、背後に中国の意図が透けて見えます。
なぜ中国は尖閣諸島を侵略しようとするのですか?
1960年代に入ると尖閣諸島周辺には油田があるらしいということが次第に明らかになって来ました。昭和43年(1968年)9月、日本、台湾、韓国の海洋専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の協力を得て海底の学術調査を行なったところ、東シナ海の大陸棚に石油や天然ガスが埋蔵されていることが分かりました。当時、中国は国際連盟に加盟しておらず、国内は文化大革命で混乱状態だったので共同調査に加わる余裕すらありませんでした。しかしこの調査結果が明らかになると昭和46年4月に台湾が尖閣諸島の領有を主張し、調査に加わらなかった中国までもが昭和46年12月に急に、領有権を主張しはじめました。
中国は「明(みん)の時代から尖閣諸島は中国領土だった」と主張していますが、これまで見てきたようにそれは真っ赤な嘘です。昭和33年(1958年)に北京の地図出版社が発行した「世界地図集」の日本図には「尖閣群島」という名の日本領土として記載されています。ところが中国が尖閣の領有権を主張しはじめた頃から、それまで発行されていた地図や教科書などが回収され、書店から姿を消してしまいました。自分に都合の悪いものは出版物までも回収してしまう、という徹底ぶりです。これが中国の歴史を捏造するやり方なのです。
中国は東シナ海でガス田開発もしていますが?
1970年代に入ると中国はガス田開発に乗り出しました。80年代に入ると日中中間線(日本と中国、双方の沿岸線から等距離の地点を結んで境界線とし、北西側は中国、南東側は日本の専用区域とする)近くの中国側の海域でボーリング調査を始め、「平湖ガス田」「春暁ガス田」「天外天ガス田」と、次々と採掘施設を建設しました。特に「春暁ガス田」と「天外天ガス田」は日中中間線からわずか4キロしか離れていないので、中国側海域での採掘であっても日中中間線を超えて海底からストローで日本の資源が吸い取られる恐れがあります。
これに対して日本政府は平成17年(2005年)、帝国石油に日中中間線付近の試掘を許可しました。しかし中国政府の恫喝まがいの抗議によって未だに試掘に着手できない状態が続いています。中国の軍事問題に詳しい平松茂雄氏によると「平湖ガス田」「春暁ガス田」「天外天ガス田」にはそれぞれヘリポートの設置が可能だそうです。ヘリポートの土台を堅牢にすれば、ハリアーのような垂直離発着機が発着できるばかりか、衛星の発射台としても利用できるそうです。中国のガス田開発は単に資源の獲得だけではなく、東シナ海を「中国の海」にするための戦略的拠点を築くという狙いもあるのです。
中国の恫喝や妨害があったとしても日本政府は断固としてガス田開発を行なうべきです。中国が日中中間線を無視して日本側の海域でもガス田開発を始めたら日本は東シナ海での権益を完全に失うことになります。ドイツの法学者、イェリングは「隣国によって1平方キロメートルの領土を奪われながらそれを放置する国はその他の領土も奪われ、ついには領土をすべて失い、国家として存立することをやめてしまうであろう」と警告しています。わが国がそのような哀れな結末を迎えないように、中国に対して毅然とした態度を取れる政治家を私たちは選ばなければなりません。
中国と国交を結んだ時に、なぜ尖閣問題を話し合わなかったのですか?
昭和47年(1972年)9月29日、田中角栄首相が中国を訪問して日中国交正常化が実現しました。この時、田中首相が「尖閣諸島の領有権問題をはっきりさせたい」と言ったのに対して周恩来首相は「ここで議論することはやめよう」と提案したため、尖閣問題は結論が出ないまま先送りとなりました。昭和53年10月23日、?小平副首相が日中平和友好条約を締結するために日本を訪れた時、有名な「尖閣諸島の領有権棚上げ論」を言い出しました。この時、福田赳夫首相が一言も反論しなかったことで、中国に尖閣諸島の領有権を主張する口実を与えてしまう結果となりました。
昭和40年(1965年)に日韓国交正常化が実現した時、竹島の領有権問題は「解決しないことをもって解決するとする」、つまり先送りにしてしまいました。その結果、韓国による竹島の不法占拠の固定化を招くという、外交の大失敗がありながら、田中首相も福田首相もまったくその経験に学ぶことはありませんでした。
隣国との間に領土問題が発生した際に、軍事力が弱い時にはわざと国境線を確定せず、問題を先送りにするのは中国の常套手段です。中国はインドとの国境紛争でもロシアとの国境紛争でも同じ手を使っています。それを見破れなかった日本の政治家の失策が今日の事態を招いたのです。
尖閣諸島が日本領であることが証明されているなら、中国も手が出せないのではないのですか?
領土問題では実効支配することが何よりも重要です。政府は「日中間には領土問題は存在しない」とか「尖閣諸島は日本固有の領土です」と口では言いながら、実際には日本人が尖閣諸島に行くことを禁じています。これは矛盾しています。島を無人の状態で放置しておいて良いはずがありません。
国際法には「先占」という考え方があります。
「無主の地(既存の国家によって領有されていない土地)」を領有の意思を持って占有し、有効な支配を確立すればその土地はその国家に帰属する、という考え方です。1896年、実業家の古賀辰四郎氏は国に国有地借用願を出し、尖閣諸島を30年間、無償で貸り受けました。当時の学術報告書によれば島に農耕に適した土地はなく、飲料可能な水があるのは魚釣島だけで、蚊の大群もいました。そのような悪条件にもかかわらず古賀氏は多額の資本を投入して桟橋、船着き場、貯水場などを作りました。そしてかつお節工場を作ったり、アホウドリの羽毛を集めて防寒着を作り、それを欧米に輸出したりしました。最盛期には魚釣島を中心に200名を超える日本人が住んでおり、当時の建物は今でも残っています。日本政府は古賀氏のそのような功績に対して明治42年に藍綬褒章を授与しています。実効支配とは、そのような形で島を活用することです。
現在の尖閣諸島の所有者は古賀家から1970年代に島を受け継いだ埼玉に住む栗原家です。その栗原家の一人がカメラマン、山本皓一氏のインタビューに答えています(「SAPIO」2012年2月8日号)。その発言をまとめると、「島に漁船の避難港や無線基地を建設するなどして、漁民が安心して漁ができるようにすることは可能です。ただ、そのためには政府の法整備が必要で、政府の方針が定まらないことが一番の問題」というものでした。
領土問題は国家の主権の問題です。たとえ1ミリでも侵されたら何が何でも取り返す、というぐらいの国の断固とした姿勢が必要です。相手は中国という無法国家です。話し合いで解決できる相手ではありませんから、海上保安庁ではなく海上自衛隊を常駐させなくてはなりません。ただ、その場合も自衛隊が十分、力を発揮できるようにきちんとした法整備と明確な国の方針を示すことが必要であることは言うまでもありません。
教育の問題もあります。中国では「尖閣諸島は中国の領土だ」と子供たちに教えているのに、日本では領土問題が存在することすら国民に知らせようとしません。政治家も官僚もマスコミも中国の顔色ばかりをうかがっています。これでは領土を守れるはずがありません。領土は先祖が私たちのために残してくれた国の富の源泉だ、という意識を学校できちんと教えるべきです。
参考文献:一色正春『何かのためにーsengoku38の告白』(朝日新聞出版)
濱口和久「これだけは知っておきたい日本領土―尖閣諸島」(「歴史通」2011年9月号)