代表の岡真樹子の著書「日本の敵を今知るための150問150答」が発売されました!!
 

 
代表の岡真樹子の著書「日本の敵を今知るための150問150答」が青林堂から6月9日発売されました!!
山際澄夫氏推薦! 「国民が日本を取り戻す運動を始めるときの入門書」
日本をとりまく歴史問題など、さまざまな問題を分かりやすく説明しています。
護国活動をこれからしたいと思っている方、あるいは活動を始めたばかりの「愛国保守初心者」が理論武装するのに最適の本です。
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「従軍慰安婦」は軍によって強制連行されたのですか? 

違います。確かに軍は慰安所に関わっていました。でも、それは
?軍医が慰安婦の定期検診をする
?業者が暴利をむさぼらないように、料金や営業日時を規制する
?慰安所の増改築に兵士を出す命令を出す
などのむしろ「善意の関与」です。軍は、慰安婦が悪徳業者にこき使われないように守っていたのです。

「従軍慰安婦」といわれる女性たちが本当にいたのですか?

そもそも「従軍看護婦」「従軍記者」という言葉はありますが「従軍慰安婦」という言葉はありません。
慰安婦、つまり売春婦は軍に所属するのではなく、業者が運営する慰安所で働いていました。
民間の業者は慰安婦を集め、慰安婦を連れて軍の移動する後を追い、商売をしていました。
古今東西、戦場に慰安所はつきものです。
なぜなら、もし慰安所がなければ兵士が現地の女性を襲ったり、性病にかかったりする可能性があるからです。
それらを防ぐための、慰安所はいわば「必要悪」でした。

慰安婦は朝鮮人が多かったのですか?

ほとんどが日本人でした。当時は日本も朝鮮も貧しく、農村の娘が身を売ることは珍しくありませんでした。
戦地の慰安所は内地よりも収入が良かったし、軍に守られているので逆に安全でもありました。
騙されて売られた女性も皆無ではなかったでしょうが、ほとんどは自ら進んで行ったのです。
給金で家を建てた慰安婦や、兄弟を進学させた慰安婦もいました。現代に生きる私たちには理解しづらいのですが、彼女たちは家族を助け、国を助けることに誇りを感じていたのです。
それを「気の毒な犠牲者」と決めつけることはむしろ彼女たちを侮辱することではないでしょうか。

「従軍慰安婦問題」とは何ですか?

いわゆる「朝鮮人慰安婦問題」はイデオロギー的に偏った日本人によって火を点けられたものです。
1990年3月、「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を百人委員会」という組織の青柳敦子氏が韓国のソウルにある「太平洋戦争犠牲者遺族会」の集まりに顔を出し、日本政府に公式陳謝と賠償を求める裁判を起こすように呼びかけました。
裁判に勝てば大金が転がり込むということで、遺族会の会員は日本大使館前でデモや座り込みを行いました。
それを日本と韓国のマスコミが誇大に宣伝して騒ぎました。
つまり、この問題は事実を検証することなく意図的に作られた、きわめて政治的なものなのです。

慰安婦に補償をする必要はないのですか?

1945年の終戦後、日本と韓国の間には国交がありませんでしたが、1965年12月17日に締結された日韓基本条約で国交回復しました。
この時、日本は韓国に無償で3億ドル、長期低利の借款を2億ドル供与しています。ちなみに当時の韓国の外貨保有高は1億3千万ドルですから、韓国の外貨保有高よりも多くの金額を日本は払ったのです。
当時、韓国は1952年に終わった朝鮮戦争で国土は荒廃していました。
朴正熙政権が成立した1961年当時、韓国の一人当たりの国民所得はわずか80ドル、春の端境期には餓死者も出る状態でした。
国家再建のための資金が必要でしたが、韓国に金を貸してくれる国などありませんでした。思い悩んだ朴大統領は、日本との国交回復に望みを託したのです。日韓基本条約によって得たお金を資金にして、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済復興を遂げました。
その代わり、独立に伴う未清算部分はすべて「完全かつ最終的に解決された」と条約に明言されています。
ですから、もし元慰安婦が補償を求めるのなら日本政府ではなく、韓国政府に求めるべきなのです。

慰安婦はどのような生活をしていたのでしょうか?

終戦後、ビルマを占領したアメリカ軍が慰安婦を尋問し、まとめた「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」という報告書があります。
それによると、慰安婦の生活は私たちが想像するほど悲惨なものではなかったようです。例えば慰安婦には客を断る権利があり、借金を返せば帰国を認められていました。
しかし自由の身になっても日本に帰らず、戦地にとどまった人もかなりいました。ビルマ国境に近い拉孟というところには日本人慰安婦15人、朝鮮人慰安婦5人がいました。
1944年5月、中国国民党の蒋介石軍との間に戦闘が始まりました。
慰安婦たちは負傷兵の手当てをしたり弾薬を運んだり、兵士と共に戦ったそうです。
そして失明したある兵士と「彼の目となって共に戦って死にたい」と申し出た慰安婦が激戦の最中に、隊長が媒酌人となって結婚式を挙げたという記録も残っています。

参考文献:名越二荒之助『日韓2000年の真実―写真400枚が語る両国民へのメッセージー』(ジュピター出版)
     小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論2』(幻冬舎)


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